20011009有斐閣「書斎の窓」原稿ブランド(完成稿)

 

ブランド・マネジメントの時代

〜なぜブランドが問題なのか?〜

 

田中 洋(法政大学経営学部教授)

 

     「ブルータスとシーザー、その『シーザー』という一語のなかに何があるというのだ? どうしてその名がきみの名よりも、多くの人の口の端にのぼせられるのか?」

                             (『ジュリアス・シーザー』シェイクスピア、福田恆在訳)

 

1.ブランドへの注目

ブランドがマーケティングの世界で問題になってから10年余りが経つ。1990年代は「ブランドの10年間」と呼ばれているほどである。この間ブランド論で世界的に主導的立場にあったデビッド・アーカー(現・カリフォルニア大学バークレー校名誉教授)は近著『ブランド・リーダーシップ』の冒頭で、1980年代後半にブランド・エクィティが注目された当初「数年しか続かない一時的なマネジメントの流行」と思われていたことを語っている。

「エクセレントカンパニー」「コアコンピタンス」「リエンジニアリング」…マネジメントではさまざまな“バズワード”がつぎからつぎへと提唱されて消えていく現象を我々はこれまで見聞きしている。なぜブランドに限って10年以上も持続する関心を引き起こし得たのか。また、そこで言われているブランドとは何を意味しているのか。これがこのエッセイで明らかにしたい主題である。

誤解のないように最初に申し上げておけば、ここで言われているブランドとはルイヴィトンやエルメスのような「ファッションブランド」のことを指してはいない。また「日本人はブランドに弱い」と呼ばれるような高級ブランドへの日本人の嗜好を明らかにしようというわけでもない。ブランド・マネジメントの関心は90年代の世界的な現象であり、日本企業はブランドに関心をもつことにはむしろ遅れていたし、長い間関心もなかったことをここでは指摘しておきたい。

今年発表された青木幸弘(学習院大学教授)と恩蔵直人(早稲田大学教授)による「日本企業のブランドマネジメント」(日経産業消費研究所)レポートによれば、アンケートに回答した日本の製造業191社のうち58.6%がブランドマネジメントを行うための組織やスタッフをもっている。また専門の部署をもっていると回答した企業は25.1%であった。日本企業でもブランドに急速に関心をもち始められていることが伺える。しかしそれはごく近年のことに過ぎない。

 

私自身の体験から始めたい。1980年代の半ばころまで、まだブランドなどという概念がどこでも関心をもたれていないころ、欧米の先進的な消費財企業のマーケティングの現場ではブランドという概念はすでに「常識」に属していた。ネスレ、ユニリーバ、フィリップモリス、アメリカンエキスプレスといった企業である。マーケティングを行うのはブランドを育成するためであり、ブランドを構築することが企業の使命である…こうした考えをもつグローバルなパッケージ商品企業にとってブランドは古くからの関心毎であった。しかし当時はブランドについて何の理論も研究も存在していなかった。マーケティングの教科書にブランドという文字が書いてあったとしても、そこにはブランドそれ自体をマネジメントするという考え方は存在していなかったのである。

80年代の終りになって米国ではブランドへの関心が急速に高まった。直接的な原因は当時消費財企業に多く見られたM&Aである。例えば、ネスレ社がブイトーニ、マッキントッシュ、ペリエなどを買収したのはこのころである。当時のMAはこのような「ブランドを目的とした」買収劇であり、被買収企業は実体資産(工場・土地・現金など)の5倍から10倍の価格で取引されていた。ブランドについてそれほどの高い価格がつけられたという事実が多くの企業人の関心を刺激したのである。目に見えない資産であるブランドになぜそれほどのお金を支払わなければならないのか?

ひとつの大きな原因は消費財メーカーが当時置かれた状況にあった。販売価格の下落、ブランドの乱立、それに巨大になりすぎた流通企業のパワーであった。ディスカウンターとして米国で最大の規模を誇るウォールマートはプロクターアンドギャンブル社(P&G)の売上の約一割を占めるといわれている。このような大きなバーゲニングパワーに対してメーカーができる数少ない防衛策のひとつがブランド力を高めることであった。それは端的にプレミアム価格を維持することのできるブランドをもつということである。このような現象は欧州でも同様に見られた。

 

3.90年代になにが起こったのか

ブランド・エクィティ概念(ブランドを企業の資産とみなして管理しようという考え方)はこのように1980年代末に米国を中心として大いに注目されるようになった。それではなぜブランドは90年代にも引き続き注目されるようになったのだろうか。 そしてなぜブランドへの関心は90年代を通じて持続することになったのだろうか。

90年代のブランドへの関心は、80年代の消費財企業だけでなく幅広い業種にわたって観察されたことが特徴的である。金融サービス・医療サービス・ホテル・コンサルタントなどのサービス業、半導体・インターネットなどのIT関連業界、またクルマ・石油など幅広い業界に渡ってブランド構築についてのマネジェリアルな関心が湧き起こった。

ひとつの大きな原因は「消費者選択の自由の拡大」である。金融サービスに象徴されるようにこの時期、それまで規制や業界構造によって消費者の自由な選択が阻害されていたような業界において消費者のブランド選択がより自由になる事態が実現した。

ビール業界においては、従来の酒販店業態がコンビニエンスストアやディスカウントストアに業態変化した。このことは結果的に消費者が自由にブランドを個人個人で初めて選択するようになったことを意味している。これが招来した事態がキリンラガービールからアサヒスーパードライへのマーケットリーダーの変化である。ブランド戦略に長けていたアサヒがキリンを凌駕したことは象徴的なできごとであった。

グローバル化は同様にブランド構築へのドライバーであった。ビジネスのグローバル化はグローバルブランドの必要性を促した。ハイアットやリッツカールトンのように、ホテル業界ではグローバルなブランドをもったホテルグループが競争上の優位に立つことができたのである。

90年代に大きく進展したIT化やデジタル化はさらにブランドへの必要性をマーケターに強いた。デジタル革命でのパソコンやAVに見られるようなデファクトスタンダード化は、逆に個々の製品を強力にブランド化することを必要とした。ソニーのVAIOはその成功例である。インターネット上での強力なブランドの必要性はYahoo!がみずから立証している。

90年代により鮮明になった企業環境の変化とは、企業価値・キャッシュフロー経営などで表されるような株主価値最大化への動きだろう。企業の目的は株主価値を可能な限り高めることにある、このような意識は80年代から90年代を通じて世界的企業の共通の認識として定着した。

この流れのなかでバランスシートに現れないような「オフバランス資産」が注目されるようになった。フォーチュン誌ランキングトップ500社の市場価値の70%以上は、特許・知識・顧客関係・ブランドなどの「計上されない」資産からなっているといわれる(テキサス大学・スリバスタバ教授)。ブランド資産の育成はこのような企業価値ベースの経営概念からも注目されるに至ったのである。

 

4.マーケティング研究へのインプリケーション

ブランド研究はアカデミアでも90年代に幅広い関心を集めるに至った。ブランド研究はそれまでにないような幅広いマーケティング研究者の共通の関心ごととなった。小川孔輔法政大学教授(『ブランド戦略の実際』『当世ブランド物語』)、片平秀貴東京大学教授(『パワーブランドの本質』)のようなマーケティングサイエンス研究者、消費者行動研究の青木幸弘学習院大学教授(『ブランド・ビルディングの時代』など)、ポストモダン的視点からの石井淳蔵神戸大学教授(『ブランド』)、戦略論観点からのブランド研究者、陶山計介関西大学教授(『日本型ブランド優位戦略』)、さらに広告論から接近している岸志津江東京経済大学教授(『ブランド構築と広告戦略』)。

また財務会計・管理会計分野からもブランドに関心を寄せる研究者が出てきた。伊藤邦雄一橋大学教授、岡田依里横浜国立大学助教授、福田淳児法政大学助教授などである。

このようなブランド研究の進展はマーケティングのディスシプリンにとってどのような意味をもっているのだろうか。私の考えでは、それはマーケティング研究の再統合という意味合いをもっているように思われる。

マーケティング研究の進展は一方では研究分野の個別化・フラグメント化を招いてきた。例えば消費者行動研究はマーケティングの一分野として発展しながらもそのアカデミックなディスシプリンとして独自性を主張するようになった。消費者研究は必ずしもマーケティングに属していなくても良いという考え方である。(その結果、アメリカではアメリカマーケティング学会という横断的な組織は空洞化している)

また、隣接する戦略論の分野からマーケティング論はその必要性について批判されるようにもなった。戦略論さえあれば、マーケティングは不要ではないかとする指摘である。このような動きはマーケティング研究の内在的な危機を招いていた。そのような「危機」がマーケティング研究者に必ずしも意識されていなかったとしても。ブランド研究はそれまでのマーケティング研究で蓄積されてきた知識を結びつけ、統合することを促進するとともに、買い手側(消費者研究)と売り手側(マネジメント研究)の両方の視点を統合するような研究視点を可能にしている。マーケティング研究において、ブランド論は顧客満足・関係性マーケティングの概念と共同しながらさらに発展する可能性をもっているといえる。

このような視点がブランドにとって可能なのは、ブランドが消費者の観点からすれば「システマチックなバイアス」であるからだ。消費者は売られている「製品」を“客観的に”見られるわけではない。そこには「人間的な」ある偏差がある。常に限界のある情報処理資源をもちながら、柔軟に環境に適応しようとしているのが消費者である。ブランドは買い手にとって「消費世界認識の方法」にほかならない。

 

ブランド論がマーケティングの領域で幅広く関心をもたれてきた背景を明らかにしようとしたのがこのエッセイの目的であった。私が以前に指摘したように、ブランド研究はマーケティング100年の歴史の総括という意味をもっている(「ブランド・エクィティ研究の流れ」『マーケティング・レビュー』所収)。ブランド研究は狭い意味でのマーケティングマネジメント論に包括されるような問題ではないと私はひそかに考えている。例えば、経済的な交換関係が共同体的な商取引から離脱するとき、共同体と共同体との間の継続的な交換で必要とされるような仕組みをブランドといってもよい。ブランドがもつ問題のほんとうの在処すら我々にはいまだに明らかではないのだ。

(了)